上越教育大学幼児教育研究会会報[平成14年12月発行]掲載原稿
[寄稿] スイスの幼稚園を訪ねて
―チューリッヒ留学生活断章―
木 村 吉 彦
私は今、平成13年度文部科学省在外研究員としてスイスのチューリッヒに滞在しています。こちらでは、受け入れ先の「ペスタロッチアーヌム・チューリッヒ」の客員研究員として過ごす傍ら、幼稚園・保育所、小学校、そして日本人学校(小・中学部)といくつかの保育・教育関係施設を訪れています。本稿では、7月に訪問した幼稚園について取り上げたいと思います。
まず、ここスイスは州(「カントン」と言います)の独立自治が基本となっている「連邦」です。教育も、日本のように文部科学省が全国を一律に管轄するのではなく、各州の管轄事項です。「スイスの教育制度は26もあるんだ。」とペスタロッチアーヌムの所長さんが強調していました。従って、標題の「スイスの幼稚園」は、より厳密に言いますと「チューリッヒ州の幼稚園」のことです。私が訪問したのは、チューリッヒから電車で約20分のところにあるエフレティコンという町の「エンメナッハー幼稚園」です。訪問したのは、2002年7月2日(火)で、夏とは思えぬほど肌寒い日でした。あと2週間で今年度も終わるというときで、その週の土曜日にはお父さん・お母さんを呼んでパーティをやることになっていました。この日はまだ平常の保育でしたが、翌々日(木)にはみんなで家族にふるまう野菜ケーキをつくる、とのことでした。新学期は8月の後半(今年は19日)に始まるということですから、夏休み(=年度末休み)を目前にした時期の一日を見せていただいたわけです。子どもたちの様子は逐一ビデオに撮らせていただき、子どもたちが降園した後には、担任の先生(Frau Geiger:ガイガー先生<Frauは英語のMs.>、50歳のベテラン)から様々な質問に答えてもらいました(ちなみに、9月保育所を訪問しましたが、子どものプライヴァシー保護を理由にビデオ撮影は許可してもらえませんでした。)。これから述べますことは、子どもたちと先生の様子を見、先生からお話を伺って、私の印象に強く残ったものです。当然主観性の強い内容かと思われますが、「留学生活のワンシーン」ということでご了解下さい。
1.クラス編成と一日の流れ
まずは、クラス編成の仕方とこの日の保育の流れを大まかに紹介しましょう。
チューリッヒ州の幼稚園には、4歳6ヶ月から6歳までの子どもたちが在籍し、2年保育です。この幼稚園には年齢混合クラスが2クラスあります。見せていただいたクラスの園児数は16人で、もう1クラスは17人でした。クラス分けは、主に住所による線引きと外国人の数を均等に分けクラス担任の負担を公平にする、という方針によって行われたそうです。日本のように同じ年齢ごとにクラスをつくるという発想はないようです。
この日の流れは、8:00〜8:30/登園、8:30〜9:40/朝の会・続いて「課題活動」の時間、9:40〜10:10頃/おやつ、10:10頃〜11:00/自由遊び、11:00〜11:15/帰りの会・降園、でした。それぞれの遊びの様子は、これから授業の中で紹介していくつもりです。本来火曜日は、在籍1年目の子どもたちが午後にもう一度幼稚園に来て活動を行う日なのですが、この日は6歳児が8月から通う小学校に、先生と一緒に出かけるため、午前で終わりでした。木曜日が在籍2年目の子どもたちの午後保育の日です。月・水・金は午前のみの保育ですが、12時までです。
2.幼稚園は学校である―幼稚園の役割=小学校教育の準備
課題活動の合間にガイガー先生がお話をしてくれたわけですが、そこで明言しておられたことは、「幼稚園は学校への準備をするところです(Kindergarten ist Vorbereitung fur Schule .)」というものでした。子どもたちにお話を作らせたり、数を数えさせたり、製作をさせたりするときに、とりわけ大事なことは「集中力(Konzentration)」と「意志力(Wollen)」を養うことだ、と何度もおっしゃいました。この二つの力をつけさせて子どもを小学校に送り込むのが私たちの仕事だ、と強調されていました。実は、その日の午後、同じ地域の小学校にお邪魔したのですが、2年生に「数遊び」をさせていた担任の先生から出た言葉が「集中力が一番大事なのです。」というものでした。打ち合わせてあるはずはありませんから、考え方の一致に驚かされました。
3.言葉の問題―多国籍クラス
先に、クラス分けの判断材料の一つに外国人の人数があると書きましたが、
何が問題かと言いますと、外国から来て間もない子どもはこちらの言葉が分からない、ということです。年度末ですから、先生の言っていることが分からなくて右往左往しているような子どもはおりませんでしたが、年度当初は大変だったそうです。確かに、自由遊びの様子をよく見ていますと、よくしゃべって仲間と「ごっこ遊び」に興じる子どももいれば、仲間との遊びを展開できずに、お気に入りの人形をもって保育室内を歩き回っている子もいます。実はこのクラスの半分が外国人でした。ヨーロッパでは、イタリア・トルコ・ユーゴスラヴィア・スロヴェニア・マケドニアから、遠くはブラジル、ヴェトナム・タイからの子どももいました。戦争難民の子どもたちが多いという実態を知らされました。ヨーロッパのほぼ中央に位置するスイスにとって、外国人をどう受け入れ、どう同化させるかは国内的にも国際的にも深刻な問題です。現在スイス全体では約18%(5.5人に1人の割合)の外国人が住んでいるとのことです。もちろん、都会であればあるほどその割合は高くなります。国際都市ジュネーヴなどは、なんと約4割が外国人といわれています。
ちなみに、言葉の問題ですが、スイスのドイツ語を話す地域では、どの州でも幼稚園の教師は「スイス・ドイツ語(要するに方言)」を話してもよいことになっています。ただし、小学校以上の学校では授業でスイス・ドイツ語を使ってはならないことになっており、標準ドイツ語(高地ドイツ語と呼ばれ、もともとドイツの北方地域で使われているドイツ語です。)を使わなければならいことが法律で決められています。先のFrau‘Geiger’も、標準ドイツ語では[ガイガー]ですが、スイス・ドイツ語では[ガイゲル]と発音します。ご本人は「どちらでもいいですよ」とおっしゃっていましたが、ここでは標準読みで記述を進めています。私も独特のスイス・ドイツ語には辟易しておりましたが、幼稚園と小学校を同時期に訪れたことによってその違いがかなり聞き取れるようになりました。しかし残念ながら、「ペラペラ」というところにまでは遠く及ばないうちにもう「帰国の準備」が始まっています。
4.「『個』に応じて」とは―「1人1人の能力に応じる」ことの意味
私たちは、「個」に応じて教育することの意味を「画一的な」教育や保育に対するアンチテーゼとして理解していることが多いと思います。一斉指導に対する個別指導のような形がその具体的な方法として思い浮かびます。それはそれで、間違った理解ではないと思いますが、こちらでは「1人1人の能力に応じる」教育の「厳しさ」を思い知らされました。園児の個人票を見せてもらいました。外国人の子どものものです。国籍が書いてあり、入園(Schuleintritt)は普通(Normal)とありましたが、備考欄に「ein Jahr spater」とあるではありませんか。「1年遅れ」という意味です。この子どものドイツ語力では小学校の授業について行けないからもう一年幼稚園に通園させる、というのです。実は、小学校にも同じような実態があり、1年生の内容を2年間かけて学習するクラスがありました。「学習内容を理解するのにあまりに多くの時間を必要とする、理解が非常にゆっくりな子どもたちの特別クラス('Sonderklasse'と言います)」があるのです。このクラスは、いわゆる「特殊学級」や「障害児学級」ではありません。あくまで、理解するのに時間のかかる子どもたちを集めたクラスです。私は、1クラス6人のゾンダークラッセの授業を見せてもらいました。先に書いた2年生クラスというのが1年生をもう1年やっている子どもたちだったのです。
年齢によって一律にクラス編成をし、少なくとも義務教育段階では「原級留め置き」ということはまず聞いたことがない日本の実情と比べてどうでしょうか?こちらでは、「1年生の学習を2年かけて行う」ことが「1人1人の実情に応じた」やり方としてどの学校でも行われているのです。
5.「自発性」とは
ガイガー先生へのインタヴューのなかで、先生が強調されていたことの一つに"mit Freude zu lernen"という言葉がありました。文字通りに訳せば「喜びをもって学ぶこと」です。子どもの自発性('Spontaneitat')を教師がどのように受け止めて保育しているのか、という問いに答えてくれたときの言葉です。子どもが「喜んで」活動に没頭し、活動の中で「何かを学び取ってくれれば」、その課題が子どもから発したものであれ、教師から発したものであれ、そのこと自体は問題ではなくなるのだ、という趣旨だと思いました。特に課題活動場面では、教師の「強すぎるほどの指導性」を感じていたのですが、「大事なことは子どもが喜んで学ぶこと」とガイガー先生がおっしゃったとき、その「印象」は一気に和らいだのでした。
おわりに
実は、受け入れ先の「ペスタロッチアーヌム」が改組されて、10月からは「チューリッヒ教育大学」の一組織(附属機関)になりました。こちらでは、それまでばらばらだったいくつかの教員養成機関を、組織はそのままにして、「チューリッヒ教育大学」という名称の元に統合するという形で教育改革が進んだのです。所長さんは、「10月には君の居場所はなくなるよ。」と笑っておっしゃったのですが(もちろん冗談です。現にいまだに「籍」はそのままで、いろいろと便宜を図ってもらっています。)、日本の「大学改革」の行く末のことをふと思い、一瞬冷や汗が出ました。
(2002年11月26日 記)